『ゴールデンカムイ』最終回を読んだ。雑誌最終回掲載と同時にwebで全話無料公開してくれてありがとうございます。リアルタイムで漫画の最終回の感想に追いついてネットのネタバレ感想を読むことができたのは近年ずっとなかったので、熱狂を感じられて良かった。
感想。
いやー壮大な物語だったね!金塊戦争に関わった人全て(杉元かアシリパのどちらかまたは2人とも)が死ぬエンドかと思ったけど、そうでなくて、わたしの中ではハッピーエンドだった。ラストもねw
ところで最終回前の尾形の死について、友達のブログで見た感想とはわたしは違う感想を抱いたので書いておこう。
わたしが思った尾形の行動原理って、自分が必要とされず生まれてきた「欠けた人間」だと(思い込んでいた・または事実かは不明)いう点にあって、尾形の理屈としては”「欠けた人間」が陸軍少尉になって第七師団長になることで奴らの価値がないと証明できる”んだから、そのための殺しは、尾形の理屈では全て正解ルートだったんだよね。暴挙でもなく理性的に選んだ理論証明の手段のひとつ。
ところが、毒による思考の混乱のせいで、一瞬にしていろんな思考が脳内を飛び回った瞬間、これまで頭の片隅にしか(弟の幻影を使って)上らせなかった「もしや、自分は愛されて生まれてきたし自分にも家族愛があったのでは?また、理屈で家族を殺したから後悔がないつもりだったけど、恨みが入っていたかもしれないし弟を殺したことにも実は罪悪感があったのでは?」という思考が脳内で一気に支配的になった。「混乱」状態にならなければ出てくるはずのなかった思考が。
その思考を受け入れたら、尾形の選んできたルート”すべてが間違いだったことになる”。だからそんなはずはない!と、毒に冒されていない方の尾形の思考は抗うんだけど、「もしや」に気付いてしまった(それが発想できるようになったのは弟と重なるアシリパに接したことで光・愛ある人間の生き方を知ってしまったから)方の尾形の思考は、"光"を得てしまった。救われてしまった。
けど、そうなったら家族を殺してきた自分の人生の意味は。欠けた俺に光が与えられたら、同時に、欠けた俺って死ぬしかないのでは。
二つの対極の思考で裂かれそうになった尾形は、考えるのをやめるために、頭を撃ち抜いたのではないかなあ。もし"祝福されて生まれた子供"だという考えを受け入れてしまったら、これまで弟や家族を殺したことに理屈が合わなくなり、後悔が生まれて結局自殺することになるから。「もしや」にスポットライトが当たった時点で、尾形には死しか残されていなかったと思う。
だけど、それに気付いた尾形は、作中で最も救われて幸福な死に方をしたとわたしは感じた。本当に愛されていたかは分からないままだけども。
わたしが刑法を学んだ時に、刑法犯罪を犯す人には寂しい境遇に生まれた人も多い中、なぜ犯罪を犯したら育ちに関わらずおしなべて刑罰を与える(刑法に触れたとするという意味)のかという話があって、それは、同じ育ちの人間であっても、犯罪を犯さないことを選ぶことができるからだ、という理屈がある。犯罪を犯す・犯さないの選択が行為の時点で意思によってできるのであれば、犯すを選択した人間は刑法に触れたと糾弾されて良い、と。その理屈を逆に読むと、「その時点では誰だってそれを選ぶより他に道はなかったでしょ」という場合には法的に糾弾されるべきではないから、正当防衛とか情状酌量が考慮されることになる。
『ゴールデンカムイ』に登場する多くのキャラクターの生き様死に様は、すごく上の法理について考える場面が多かった。今回の金塊戦争に関わった人達って、ちょびっと、ほんの一つでも人生の選択肢が違っていれば、他人を殺すことや戦いのない人生を送ったり、愛を見つけたりして寿命を全うしたはずということがあったと思う。でも、たくさんの人の線路の分岐を鶴見中尉は意図的に操作したよね……。鶴見中尉の人生操作の描写を初めて読んだ時は、「舞台裏すげー!鶴見中尉の洞察力と工作力すげー!」と興奮したのだけど、だんだんと、「死ななくて済んだはずの人も死のルートへ引き込んだのね……」と悲しくなった。鶴見中尉がいなかったら、犯罪を犯さないことを選ぶことができた意思を持ってた人は多かったと思うよ。(戦争関連の触法行為は別として)
総合すると、『ゴールデンカムイ』は、当初思ってた殺戮バトルエンターテイメントではなくて、人間の心理・意思・愛・人生の選択などを複雑に練り上げた深いコンテンツだったなあと。この人生の内に遭遇して読めて良かった。