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2022
『ゴールデンカムイ』読了。
コメント
わー、めっちゃ長文の感想書いてくれてたー
そして、結論直前まで「そうそう、分かる分かる」で結論が真逆なの面白かった(笑)
何人かアレは幸せだったよ派の人と話してうまく自分の感じたものの説明の仕方が分からなかったんだけどるみさんにレスしようと考えて分かったのちょっと語らせてください
最後の「自分に罪悪感があったと気づく」ために重要な勇作に愛されたという確信、これ尾形の勘違いの可能性全然あるよね、本人は殺しちゃっててアンサーがないから
つまり幻想だと思う
『マッチ売りの少女』で「最後にごちそうの幻覚が見れて少女には救済があったよね」って感想と同じ類では? と感じる
そしてその最後の幻覚でさえ自分に都合のいいハピハピお花畑ではなく、自分を滅ぼさずには入れられないもであった
尾形にとって勇作に代表される家族からの愛は祝福ではなく呪いであったが(毒饅頭みたいな感じで)、愛は祝福と人が言ってるからその可能性に気がつかなかった。なぜ気づかなかったのか、育成環境で愛情を感じたことがなく学ぶ機会がなかったから
だと思うんですよ。
あともう一点よりにもよって勇作からの愛か、それは単純に辛い
のに、勇作しか愛してくれたって感じられる人が周囲にいなかったこと
この関係の辛さは意図して書かれたと思うけど作者マジ鬼って思う(笑)
マッチ売りの少女の感じは二階堂の最後にも感じてて私は二階堂の死に方もすごく辛いです
胸が押しつぶされるように感情を揺さぶられるみじめさを感じる
真実を知らず、幻想を信じて死ぬみたいなのに私の辛さのツボがあるのかなって思いました
鶴見さんへの感想を見てぜひ最終巻の加筆を読んでほしいって思った、読んで?
わー!わー!半年以上遅れての返信になった!ごめんよー(´;ω;`)
先日やっとゴールデンカムイ単行本最終巻を読んだので、聖さん見てないかもだけど、熱いコメントについての返信を書いておくよー。
なるほど、なぜ尾形の最期が不幸と思う意見の人がいるのかがよく分かったー。『マッチ売りの少女』との比較なのね。
わたしの感覚では、『マッチ売りの少女』が最後に見た幻覚は、「ないものを最後に見たのだと本人も自覚しているけどせめてその瞬間は幸せでいられた」っていう感じで、わたしもマッチ売りの少女については"本人からすると幸せな最期←→第三者(読者の私)から見たら可哀想"という風に思う。
一方、尾形についてわたしが感じたことは「愛があった!(orはず)と本人は自覚をして死んだから、事実愛があったとしても真実は勘違いだったとしても、"本人からすると幸せな最期←→第三者(読者の私)から見ても幸せだろう"」っていう流れで"幸せな最期"説だったのだ。
ここで聖さんと真逆の結論になるってことかなー?本人が「愛あった?」と考えに登らせた「"愛"の中身」が、祝福なのか、呪いなのか。
わたしは、尾形は、標準的な愛が分からないがゆえ、本人が"あ、愛があったかも"と思ったものはそのまま祝福(ただしそれまでの自分の全否定)で確定していいのだと思ったけど、聖さんは、まともな愛を学ばなかった尾形が気付いた「愛」って幻覚であり毒饅頭でしかないのにそれに揺さぶられた末の自死だったから人生通して辛すぎると思った、ということだよね……。
文字化しながら分析してみると、野田先生のストーリーの作りって恐ろしいねえ。
鶴見さん加筆読んだよ。鶴見さん……!としか言えないぜ……!!!
わー、わー、わー! お返事くれてた、ありがとう
そっかるみさんは本人がどう思ってたか、が大事なんだねぇ
私は本人が思ってたのが読者目線だとそれは思い違いなのでは? みたいのがすごい辛いの、共感性羞恥と似た感情かも?
加筆の衝撃、鶴見さんだったよね(苦笑)