『逆ソクラテス』。

伊坂幸太郎『逆ソクラテス』を読んだ。




何きっかけだったかは忘れたー。
以前読んだ『オーデュボンの祈り』が480ページの長編一本の一冊だったけど、今回の『逆ソクラテス』は短編5本で288ページ。さくっと読めるのに驚き感動と(わたしは)涙もあった。

ほとんど前提知識なく読んで、それがやっぱり大正解だった。
オススメしたい本なので、この日記で興味を持って読んでくれる人がいると嬉しいけど、読むのであれば、わたしが今から書く、「ネタバレに配慮した感想」ですら読まずに読書始めてほしいというジレンマがああるww!
少しずつ以下の感想を読んでいって、「分かった!読む気になった!」と思った瞬間でストップして本を読み始めてほしい、みたいな……w驚きって初見だけの特権だもんねえ。

では、以下ネタバレなしの感想というか印象。
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まず、タイトルの「逆ソクラテスの"逆"とは……?」と不思議に思いながら読み始めて、割と冒頭で話の流れで「なるほど?」となって、その単語の発想力が面白いなーって思いながら気軽に読んでいたら、あっという間に少しの驚きと感動があって一本目の話『逆ソクラテス』が終わった。
「あ、これ短編集だったのか!?」と、それすら知らずに読んでたわたしはびっくりして(笑)良い一本の短編を読んだな~っていう感想を持って2本目を読み始めた。

二話目のタイトルが『スロウではない』。また否定形なんだー。
なかなか「今回のはどういうストーリーなんだ?」が見えて来なかった地点からの、急転直下の「あー、ああ!?」→「あっ……!!」と心にドスンと衝撃が。
ナイーブな題材が、子供(or当時子供)の視点や感じ方から語られると、大人がそのテーマを語るのとはかなり受け取り方が変わる。当事者だもんね。でもそんな印象をもたらしているのは、大人の、小説家である、伊坂幸太郎さんの創作文章なわけで、すごく不思議ですごい技術よねー。

三話目のタイトルが『非オプティマス』。
どうやらこの本は子供視点であり、どうやら全部の話がふわっとリンクしている・同じ世界線にあるのねと気付く。そういうストーリー達大好き(笑)!
わたしが一番ガツンと衝撃を受けた話はこの三話かな。タイトルの意味はこの日記を書くためにネタバレ解説ありサイトを検索するまで分からなかった!でもこの本、タイトルについて知ろうとすることもネタバレ含んでるので、事前に得る知識には気を付けてください……!読後に検索するのを推奨。
感想。この話で言いたいことを言おうとするためのストーリーテリングが見事……!
設定とか、視点とか、流れとか、全部読んでて唸っちゃう。子供が言うセリフの、子供ならではの軽妙なセンスとか言葉のチョイス、好き。

四話目、『アンスポーツマンライク』。
なんか、この話自体は「うーん?どういう意図のストーリーなのかな?」と思った。言いたいことは分かるけど、これまでの話で感じた衝撃や感動をあまり含んでいなかった印象だったので。
それはもしかしたら、読者の歩んできた歴史や信条次第で、この本の中の5作それぞれについて感じる印象や衝撃度って変わるのかもしれない。ただどの作品にハッとしたとしても、全部がリンクしてゆくのでどっちみち最終的にはガツンと来る仕掛け……!

ラスト五話目、『逆ワシントン』。
やっぱり四話目とリンクしてた!というか最後は集大成的に全部の伏線が盛り盛りの話。
全ての登場人物を繋ぐあの人の記述も含めて、素敵な物語を読んだ。映像や絵で語れない、文章だけの特権のご馳走をいただきました。


興味を持ったらぜひ読んでください!




最後に、タイトルの解釈に少し踏み込んだ感想。
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「逆ワシントン」の"逆"の意味をずっと考えていた。

わたしが思ったのは、
「ワシントンの逸話のように"正直でいる・謝る"ことが大事&事態を好転させる」というのが、人として"基本的には"GOODなあり方。大人も、子供たちにそうあるよう教えるし教えたい。
でも、この話の「お母さん」のように、"正直じゃない=逆ワシントン?"なやり方が事態を好転や解決に導くケースも現実にはあって。
そうだとしても・そういうケースがあるにはあるとしても、それは、「基本姿勢としてワシントンである」ことが根底にある。ワシントンあっての”逆ワシントン”なのだよ、と。(お母さんが使った手段は方便に過ぎないしね)
この作中で揺れ動く登場人物たち、「認める・謝る・反省する・やり直す」を経て人生をベターな方向へ生き直せた(直せたっていう言い方好きじゃないけど当人的にはそう)一人であるお母さんも、「"ワシントン"であろうとする子供達(Kids)には必ず良い報いや先人のヘルプがあるよ」と背中で示そうとしてるのかなー、って感じた。文字化しちゃうと陳腐にすぎる教訓を、伊坂さんは子供視点の物語に盛り込んだのかなと。

もしくは、そんなに捻らずに考えたら。
この話の"僕"が"お母さん"に、「平凡な人間でもみんなに認められ逆転する方法はないの?」と、「平凡」「逆転(もちろん良い方向への、ということだと思う)」をキーワードに尋ねていることから、お母さんは、「ワシントンの逸話は人生を大逆転に好転させた、みたいに語られているけれど、それ、"大逆転"ってことじゃあないんじゃない? "認める・謝る・反省する・やり直す"っていう、"まとも(=平凡)"に生きたルートは、そのまま良い人生に繋がるものだよ」という意味で、「(別に)逆(転などしていないが、)ワシントン(のように大成できる)」なのかなー。

※わたし個人の感想なので、ご本人が語ったFAがあったらごめんなさい!




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